こんばんは。イズミです。
だいぶエゴエゴした自分が戻ってきております!!笑
でもゆっくり瞑想してると少し落ち着けます。
こうやってちょっとずつ進んでいくものなのかもしれませんね。
さて、毎日少しずつですが「ブッダのことば」を読み進めております。
けっこう前に買ってて、そのあと所蔵本大売却祭を行った際にも売らずにとってあったんですよ。今読むためだったのかもですねー。
で、読んでて思うのが「解脱に至る悟り」と「別の領域」って同じものなんだなってこと。(あ、解脱というのはこの世の輪廻転生という束縛から解放されることです。)
いろんな記載があるけれど、たとえば「亡くなった自分の師匠は果たして解脱できたのか」と問う人に対してブッダはこう言います。
「かれはこの世において、名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。」
引用:『ブッダのことば』 第二 小なる章 一二 ヴァンギーサ より
名称と形態に関する妄執。
わたしたちがエゴによって名前をつけている「良い」「悪い」「美しい」「醜い」・・・別の領域ではそういう評価は存在しない、できない。それを体感した今となっては、ブッダの発言はエゴの支配から脱して常に別の領域へ身を置くことを指しているんだなと感じます。
なんか凄いです。別に疑っていたわけではないのですが、悟りって本当にあるんですね。
日本にもお寺はいっぱいあって、お坊さんもたくさんいます。皆さん解脱を目指して修行しているのかな?ただ家を継いでいるだけの人も多いだろうけど。笑
わたしの地元には日本でも指折りの有名神社があるので、なんとなく神道贔屓だったんですが(贔屓とか日本人丸出しですが)、仏教もやっぱり興味深いですね。
タイムマシンに乗れたら過去と未来どっちに行く?って質問されたら、わたしは絶対「過去」と答えます。そして何を見に行くかといったら「宗教が生まれた瞬間」を見てみたいんですよね。
もちろん他にもありますよ。ピラミッドの建設風景とか、縄文時代の様子とかね。
この真実を追求したがる性格が潜在意識の足を引っ張るんだよな~。。。
あ、これも一種の「名称と形態に関する妄執」ですので注意しましょう。笑
ブッダのことば スッタニパータ (岩波文庫 青301-1) [ 中村 元 ] 価格:1,243円 |
それでは、また。
ブログランキング参加中。クリックよろしくお願いします。