こんばんは。イズミです。
あのちょっと、けっこうドカンとした気づきがあったので書きます。
ていうかこれもしかして別の領域に気づいたってことなのか?ちょっとまだどきどきしてるのですが。。
今日は図らずとも好き放題に過ごす日となっておりました。
お昼ごはんを最寄り駅周辺で食べようと思っていたのに、気が付いたら都心まで出て(ほぼすっぴんで。笑)行ったことない場所をお散歩して、おしゃれカフェでアイス食べたり。さらにまた行ったことない場所へ行って、歩道橋の上でめちゃめちゃ強風に吹かれ、なんかわたし自由だ!!と思ってすごく楽しくなったり。
そんな感じで歩き倒した疲れをとろうと思い、湯船に浸かりながら「捻くれ者」さんのまとめを読んでいたのです。
わたし、「よしお」さんの「今受け取っているものを見つめたら自分の信念がわかる」というのがよくわからなかったんです。それがどこかに引っかかっていたのか、「捻くれ者」さんの「自分は「願望はそう簡単に叶うものではない」という定義を持っていた」(意訳)という書きこみを読んだときに「わたしはどうだろう?」と、生まれてから今までのことを振り返りました。
何が叶って、何が叶っていないのか。その違いは何なのか?と。
わたしの人生ってぱっとしない。自分ではそういう印象を持っていました。
両親、特に父は厳しく、すぐに怒り怒鳴り散らすタイプでした。なんでそんなことで?という理由で怒鳴りまくる父を見上げながら、子供ながらに「ダメだこいつ、早くなんとかしないと」と思ったのをよく覚えています。笑
だからわたしはある意味父への復讐のために生きていたと自分では考えていました(アドラーにそんなのありましたよね。)。抑えつけても子供はちゃんと育たない、あなたは間違っている、そう証明するため、中学でも高校でも特に勉強を頑張った記憶はないし、規則正しい生活もしないし、家族にはあいさつすらちゃんとしていなかったです。親の望むことすべてに反抗しました。もちろん何の夢も目標も持つことなく、就活もかなりサボっていまいちだけどまあいいか~と思うようなところに就職しました。(そこは短期間で辞めてしまいました。。)
こんな感じの人生なのに、周りの友人からは「学歴も運動神経もいいし何でもできるじゃん」「悩みないでしょ?」と言われるのです。
たしかに、費用を出してもらわないといけないから両親が望む高校や大学には行ったし、就職浪人はせずにすみました。これだけは、自分でもさすがにそれなりに望んだのではないかと思います。
で、その望みは全部叶っている。「まあ、さすがにこれぐらいの学校には行っておかないとね。」「まあ、一応就職しないとね。」みたいな弱い望みです。
強く望むということをしてこなかったからです。
え、じゃあ今望んでる「お金が欲しい」も叶ってよくない!?それになんで未だに独身なわけ!?(ここに書いたことなかったですが、わたし9年婚活してたのに独身です。笑)
自分の意志で強く望んだことだけ、叶っていない・・・?
え、マジ?わたしのエゴ意地悪すぎてやばwwwww
って、そう思った瞬間、急にエゴがすっと消えたんです。
同時に思いました。え、なら話早いじゃん。強く望まなきゃいいじゃん。望んでいい。執着しなきゃいいんじゃん、と。
あまりにエゴが静まってしまい、お風呂に浸かりながら「あれ?感情どこ行った?えっと・・・この感覚なんて言うんだっけ・・・えっと、えっと、あ、そうそう熱い!もしくは温かい!!」ってわざわざ考えないといけなかったほどです。笑
今はちゃんと感情戻ってます。
でも上で「「お金欲しい」が叶ってない」って書こうとしたとき、「叶ってないって何?叶ってるからw」みたいな抵抗がありました。
既にある、はまだよくわからないです。世界=自分もよくわからない。
でもエゴとは別の全てを叶えている存在を自分の中に感じました。それがある限り、望んでもいいし、望まなくてもいい。信じても信じなくても叶っている。それは確かなのだという感覚があります。
あれ、これ、7章の入口では??
しかしちょっとまだ動揺しています。
達人さんたちが言うように、なんか願望がどっか行ってしまったような感覚なんです。。
落ち着いたら意図できるかな。
自分語りすみません(そういうブログだけど)。
あくまでわたしの体験ですし、支離滅裂でたしかに文章にするの難しい、これは。
動揺しつつ、読んでくれた方のお役に立つように意図しておきました!!(つもり)ので、お許しくださいね。。
それでは、また。
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